
平成21年12月26日にお届けした、
元豊岡小学校解体の記事の続きです。
先日小石間トンネルを抜けて植田(うえった)地区を訪ねると。【写真】
年末にあった豊岡小学校校舎とその裏の25mプールが解体され、更地なっていました。
世間では桜が満開を迎え、入学式の季節です。
一つの時代に終止符が打たれたものの、何とも寂しい風景です。
やはりなんとも寂しいね~
次は春野東中学校舎も、春野南中学校舎もどうにもな
らない。消えててしまうかと思うとなんとも寂しいもんで
す。
静岡 天野さん
閉校と同時にいずれこのようになる運命ですが、実際校舎が無くなると寂しくなります。
春野どの地区でも昔の校舎は、集落の中心や高台にあり日当たり、見晴らしの良い一等地でした。
子供達に期待してそのような場所に建てられたのだと思います。
春野の住民の方々の抱く寂りょう感は、
どんなにか深く寂しいものと、察するに
余りあります。
希望や期待が形になっていたものが
忽然と目の前から消えるわけですから、
大事な人を失った時のような思いでしょう
ね。
私の出身小学校は浜松市立県居小学
校といいいます。今は鉄筋校舎が建って
いますが、児童数も激減し、懐かしさも
何もありません。あの焼夷弾攻撃で炎に
包まれて炎上してしまった小学校こそ、
我の学び屋なのです。
やたらに懐かしい建物を取り壊す悪い
傾向を食い止める法はないものでしょうか。
合併や廃校と、小中高母校が全て無くなってしまった人が春野に何人もいます。
大変寂しい話です。
出来れば校舎を残してもらいたいですが、それも難しいのでしょう。
せめて廃校になった学校の資料や写真などを見られる施設を一ヶ所にまとめて造ってくれたらと思います。
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