犬居城と天野氏 第29話 「その後」

犬居城と天野氏 第29話 「その後」

 武田氏の下に落ち延びた天野氏だが、しばらくは、犬居山中にも影響力があったとも言われるが、再度の奪還はなかった。それよりも、武田氏が追い詰められると、「犬居百騎」といわれた天野氏家臣の多くは、帰村し、帰農していったと言われる。天野宮内右衛門尉の次男であった平木の和田河内守は1614年の大阪の陣に鉄砲隊で出陣し活躍している。花島氏や渡辺氏も家康に赦され、帰農した。しかし、惣領であった天野藤秀・景貫父子は、犬居に戻ることは出来なかった。

 天野景貫は、1582年武田氏が滅亡すると、北条氏を頼り、北条軍として戦っている。

 徳川方と武田方に、兄弟や親類で分かれて戦った例もあるが、結局勝ったほうが負けたほうの釈面ができることもあった。また、惣領としての天野氏は犬居から撤退したものの、庶子系の和田氏などの系譜は残って引き続き暮らしていった。また以前にも書きましたが、天野景貫には兄がいて、早くから徳川方について活躍していたという話もある。

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 景貫の兄に正貫という人がいて、その系統が三河に栄え、その支流は尾張国にも広がっていたようです。さらに正貫や景貫の大叔父に定景というものがあり、その後裔の康景は家康に仕え、駿河興国寺城主として大名となりましたが、部下が盗賊を働いた天領の民を斬ったことから駿河代官井出正次と確執し、ついに部下をかばって城と大名という身分を棄てたそうです。
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 天野氏の同心であった田河内の樽山城を守っていた天野助兵衛(花島氏)は、1577年には長蔵寺村に移り、子孫は熊切村の大庄屋になっている。同じく同心であった渡辺三左衛門尉は、1591年、ふるさとの胡桃平で死去している。他に、尾上氏、前島氏、木下氏など、まだまだ調べればいろいろ出てきそうであるが、犬居山中が戦いの場から平和な土地になったことですから、ひとまず筆を置きたいと思います。


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この記事へのコメント
「春野人さん」こんにちわ。
「犬居城と天野氏」、毎週楽しみにして読ませていただきました。
春野に来たときから、天野氏と春野の関係については、興味があり、一度勉強したいと思っていました。
これだけの文章を書くには、さぞ勉強をされ、大変だったと思います。
ご苦労様でした。
Posted by タイちゃん at 2010年08月07日 13:23
こんにちわ。
長期間にわたる連載執筆、お疲れさまでした。
文献調査から文章推敲まで、毎週大変なご苦労があったかと思います。
子供の頃、郷土史のお話は全く聞きませんでしたし、手近に参考書があるわけでもなく、とても勉強になりました。
有難うございました。
Posted by 尾張仁 at 2010年08月07日 15:36
お忙しい中で毎週の投稿ありがとうございました。
資料収集等のご尽力に感謝します。
歴史は不得意ですので、改めて読ませてもらいます。
身につくまでに、もうしばらくかかりそうですが。
Posted by 春野のしいたけ屋 at 2010年08月08日 00:01
みなさま、ありがとうございます。

お役に立てれば幸いです。

途中、写真や図が間に合わなかった部分がありますので、あとで補足しておこうと思っています。

子どもの頃は、天野氏が犬居城で徳川家康と対決した、
くらいしかしらず、まさか登場人物がこんなに
いるとは思いもよりませんでした。

また周囲の武将の思わぬ動きが、結果として天野氏の進退に影響していて、そのあたりも面白かったです。

以前の風林火山や山内一豊には、全く出てきませんでしたが、せめて今川とか徳川の大久保兄弟や井伊氏、あるいは尼子あたりが主人公のときは、天野氏も出して欲しいなと思います。
Posted by 春野人春野人 at 2010年08月08日 22:32
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