養老2年(718)僧行基が開いたといわれる。戦国時代の初め、天野氏の菩提寺として再興されました。そのころは、一段上の現在の犬居幼稚園のある高台に、瑞雲寺としてあったそうです。
戦国時代、遠州地方は、今川、武田、徳川の戦いの場になりました。徳川家康が犬居城攻略の際、対岸の瑞雲院に本陣を敷いたわけですが、気田川の増水と夜討によって、撤退しました。その後二度目の時に兵火に遭い、全て焼け落ちたとか。その後今の位置に再建されます。
その後、徳川家康は二俣城、光明城を攻略し、犬居城は武田方の最前線になります。家康は、東の要所であった、現在の田河内にある樽山城を攻め、次に北上して入手城、西に向かって、おそらく京丸を通って、現在の勝坂に入り、犬居城の北からの街道を封鎖しました。その後天野氏は信州へ逃れていきました。
瑞雲院の境内の蔵には、葵の紋があって、おそらく江戸時代に徳川家とのつながりがあったことと思います。
この山門は1750年ですから、江戸時代中期に建てられました。高さは約9.6メートルあり、楼門形式の山門は極めて珍しいそうです。
私はこの上に建てられた、幼稚園と小中学校に11年間通ったわけで、毎日横目に通ったわけです。 部活で近くの坂をダッシュしたり、図工で山門の絵を描いたり、芋ほり体験をさせてもらったり、現在の小泉医院の所にあった遊具が境内に移転した後遊んだり、学芸会の出し物のお墓をつくるために墓地をみたり、夏季合宿の際のきもだめしをしたりという具合にかかわりがあります(ってなんてローカルな話)