犬居城と天野氏 補足-4 年齢について
次に生没年が全く分かりません。これを考えてみます。この当時は、多くの武将が数え年13歳で元服しています。今風なら12歳になる年の正月ですから、小学校6年生の正月ということでいいと思います。とはいえ元服時期も実は規定がないそうなので、妥当な線でいきたいと思います。
今川氏親(1473-1526)と親交があったのが①天野景秀と②景貞の親子です。その晩年1516年頃の大滝合戦には③虎景(小四郎)④景泰(与四郎)の活躍や、景義(孫四郎)と④景泰(与四郎)の活躍が出ています。
そこで、④景泰(与四郎)はこの頃既に元服していたとして、1500~05年生まれと推測。③虎景(小四郎)や景義(孫四郎)は④景泰(与四郎)のおじさんですから、1490~95年生まれと推測。②景貞は1480~85年生まれとします。プラスマイナス5年くらいで。
1537年の堀越氏の件での登場人物は、②景貞(53~58)、③虎景(小四郎)(43~48)、④景泰(与四郎)(33~38)、景義(孫四郎)(41~46)になり、だいたいよさそうです。
1538年~45年まで、③虎景(小四郎)と④景泰(与四郎)が各地で転戦。③虎景が一時的に惣領なのは、与四郎は岩小屋城に匿われていた関係であり、そうすると②景貞はこの頃亡くなっていたか隠居していたことになりそうです。
1542年⑤藤秀に犬居や宇奈代官職を委譲されます。このあと1547年頃③虎景(小四郎)(53~58)は没したと考えられます。④景泰(与四郎)(43~48)に惣領は移動。ところが⑤藤秀は幼少であり、実質的に景泰(与四郎)が仕切っていて、隷属されているという訴えが後に今川家に出されています。このことから、1542年⑤藤秀は幼少(13-15才?)であったとして、1528年生まれ③虎景(小四郎)(34~39)の時の子とします。
1563年、⑤藤秀(36)が惣領になる。1569年には、⑤藤秀(42)が息子⑥景貫(29?)と戦いに出ています。景貫については、1540?~1609?という意見もありまして、まあ合っているのではと思います。