私の田舎暮らし113 過疎を考える-1

私の田舎暮らし113 過疎を考える-1私は春野町で田舎暮らしをして今年の6月で8年目を迎えます。神戸で30年間会社勤めをし、定年後にこの地に家内と愛犬「タイちゃん」と3人で暮らしています。田舎暮らしをこれから始める方々に少しでも参考になればと思い、しばらく出来れば週一回(火曜日)に書かせていただきたいと思います。

(113)私の田舎暮らし 過疎を考える-1

 過疎化を論じる時、最近は限界集落と言う言葉がよく使われる。この言葉は、長野大学教授(高知大学名誉教授)である大野晃氏が、高知大学人文学部教授時代の1991年(平成3年)に最初に提唱した概念である。中山間地や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行が急速に進んでいる。このような状態となった集落では、集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされており、共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。「限界集落」には、もはや就学児童より下の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く、病身者も少なくないという。大野氏は、65歳以上の高齢者が自治体総人口の過半数を占める状態を「限界自治体」と名付けたが、「限界集落」は、この定義を集落単位に細分化したものである。限界集落に次ぐ状態を「準限界集落」と表現し、55歳以上の人口比率が50%を超えている場合とされる。また、限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かうのである。国の調査によると、1960年から98年までに1713集落が消え、その後10年で2200集落が消滅すると予測されている。行政サービスの効率が悪いと言われる限界集落を維持する必要性として大野氏は、次の3つを挙げている。1つ目は「日本の原風景であり、歴史的な遺産である山村風景の喪失」。2つ目は「伝統文化や芸能が廃れてしまうこと」。3つ目は人が住まなくなることで田や畑の耕作放棄地が増えることによる自然環境の荒廃」である。どうやって集落を維持するべきかについては、大野氏は 「限界集落は山村の過疎の問題だけではない。より深刻で、山の問題はダイレクトに災害など都市につながっていく。だから「流域共同管理」が必要である。山から恩恵を受けている都市など下流の人たちが、上流の山村を支援しながら、流域で人間と自然が豊かになる仕組みをつくるべきだ。市町村合併も理念なき数合わせでなく、流域社会圏で合併するという考えがあってもいい」と言っている。私の住んでいる春野町は、面積は旧浜松市とほぼ同じであり、森林が90%以上を占めるが、年々過疎化が進み限界集落が増加する傾向にある。私のいる集落は戸数が15戸であるが、限界集落までには至っていないが、55歳以上の人口比率が50%を超えている「準限界集落」にはなっている。したがって、このままの状態が続けば10年後には確実に限界集落に達すると思われる。     次回につづく




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この記事へのコメント
新シリーズのスタート
「過疎問題」
この言葉も、もう古くなりました。
しかし、過疎問題は古くて新しい問題であり、
たんに当該地域だけでなく、広範囲な地域の問題になっています。
新シリーズ。大いに期待します。
Posted by ミスター早石 at 2009年05月05日 09:00
「限界集落」という言葉は、何かさびしい響きを持っている。
しかし、自分が住んでいる部落が、確実に「限界集落」に近づき、このまま何もしないでいれば、
部落が消滅してしまうことも確かである。
しかし、多くの限界集落も、長い歴史を持ち、延々と続いてきた部落で
あることも確かであり、この歴史のある部落を、我々の時代に様々な理由はあるにせよ
消滅させてよいのかは、大きな問題であると思う。
我々過疎化が進行している所に住んでいる者は、都市部に住んでいる人
および自治体と協力して、このことについて真剣に考えなければならない
時に来ていると思われる。
Posted by タイちゃん at 2009年05月05日 15:18
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