私の田舎暮らし195 「我が家の春夏秋冬」 

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。


私は春野町で田舎暮らしをして今年の6月で11年目を迎えます。神戸で30年間会社勤めをし、定年後にこの地に家内と愛犬「タイちゃん」と3人で暮らしています。田舎暮らしをこれから始める方々に少しでも参考になればと思い、しばらく出来れば週一回(火曜日)に書かせていただきたいと思います。

(195)私の田舎暮らし 「我が家の春夏秋冬」:夏(5)

 8月16日は、この部落ではこの1年間に亡くなられた方のお盆の行事が行われる。朝、気田川の川原に行き、ここに竹や木を材料にして、縦横が1mで高さが2mぐらいの祭壇が、この一年に亡くなられた方の数だけ作られ、また、周囲の草刈やごみ拾い等がなされる。昼すぎからお盆が行われる家に近所の人と親戚が集まり、飲み食いを共にしながら、故人を偲ぶ。その後、仏壇に飾られている提灯や旗等を朝作った川原の祭壇に持って行き、そこに飾り付けられる。参加者一同、祭壇に向かい合掌した後、遺族の挨拶と自治会長の挨拶が行われる。最後に祭壇に火がつけられるが、燃え上がる炎と竹の爆ぜる音の中で流れ解散になる。

 暗くなるとこの日は花火が気田川の川原で上げられる。花火は気田地区に住む人の寄付金により運営されており、従って日本各地の有名な花火大会のように沢山の花火は上がらない。山の中腹にある我が家から見ていると丁度、花火の上がりきったところが我々の部落と同じ高さになり、木々の梢の間に花火を見ることが出来る。今年は、関西から来た孫たちと気田の町に下りて花火を見た。気田の町は気田川が流れる狭い谷間にあるので、花火が上がるとその音は周囲の山々に響き大音響となる。そのすごさに孫たちも我々も感動して、山間部でないと味わうことの出来ない花火の醍醐味を十分体で感じることが出来た。花火の観賞は、空き地や店の駐車場などで三々五々人が集まり、のんびりとなされており、本当に田舎らしい和やかな雰囲気であった。一つ花火が上がると経済的な事情で次が上がるまで真っ暗な中でしばらく待たなければならないが、山に響く大音響の余韻の中で、次はどんな花火が上がるのかと期待しながら待つのも、田舎らしくてなかなかよいものである。気田の商店街に入ると道の両側に出店がぽつぽつと出されており、たこ焼き、綿菓子、電飾のおもちゃ、金魚すくいなどがあり、孫たちは大喜びであった。9時ごろになると連続で大きな花火が上がり、山にその音が跳ね返り大きくこだまするが、これが花火の終わりの合図である。



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この記事へのコメント
山里の花火大会。その様子が手に取るようによく解りました。
周囲の山々からの反響があって、平地では味わえない素晴らしさが、よく想像できます。
気田の街の夜店も、ご一緒にそぞろ歩きをしたいものだと思いました。
小生は大阪・羽曳野暮らしですが、ご承知のようにPLの大花火大会があります。遠方から観光バスが来て、大渋滞するほどですが、わたしに云わせれば、春野の方に惹かれます。
Posted by 大阪の住人 at 2011年01月04日 10:28
「大阪の住人さん」こんにちわ。
私は、花火はきれいだと思いますが、遠くまで見に行くほどではありません。
しかし、春野の花火は、ほとんど真上近くに上がり、大音響と共に一瞬、闇夜が明るくなり、山々にこだまする様子は、山里でないと味わえない感激があります。

また、寂れた気田の街角の暗闇の中で、顔見知りの人と短い挨拶を交わすのもいいものです。
Posted by タイちゃん at 2011年01月05日 05:49
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