私の田舎暮らし153 「田舎と都会の違い」:獣肉

私の田舎暮らし153 「田舎と都会の違い」:獣肉私は春野町で田舎暮らしをして今年の6月で10年目を迎えます。神戸で30年間会社勤めをし、定年後にこの地に家内と愛犬「タイちゃん」と3人で暮らしています。田舎暮らしをこれから始める方々に少しでも参考になればと思い、しばらく出来れば週一回(火曜日)に書かせていただきたいと思います。 


【写真】出典: フリー百科事典『ウィキペディア

(153)私の田舎暮らし「田舎と都会の違い」:獣肉

 神戸にいた頃は、牛肉、豚肉、鶏肉以外は、食べたことがなかったが、このことは、都会に住む特別な人を除いて一般的なことだと思う。私は、この地に来て最初の秋祭りで鹿の生刺をたべた。このときは周囲からおいしいから食べてみろと言われて恐る恐る食べたが、その時の印象では、結構いけると思った。その後、村の人と会食の時にはしばしば生刺が出され、最近では何のためらいもなく食べられるようになった。猪の肉も煮物にしたり、豚汁の豚肉の代わりに入れたものを何度か食べたが、肉が硬いという印象がある。部落の年輩の人の話を聞くと、昔は、鹿や猪の肉のほかに、熊、狸、ウサギなどの肉を食べたというが、最近では、獣肉というと鹿肉、猪肉を指すようである。都会に住んでいる人で私の親しい人で鹿や猪の肉を食べることが大好きな人がいる。この人たちは、時々田舎に行って、これらの肉を提供している店で食べるとのことであった。そんなことで、私も鹿や猪の肉が沢山手に入るとこれらの人に送ったりしている。田舎に長く住んでいる人で時々ゲテモノ食い」がおり、猪や鹿の肉を好み、また、地蜂の子を食べることが大好きな人がいる。この人たちが、もう蜂の形になったような蜂の子を食べているのを見ると、とてもついていくことが出来ない気持ちになる。しかしこの人たちによると地蜂は、このようにもう蜂になりかけたものをバリバリ歯で噛んで食べるのがやめられないというのである。日本の各地で見られる料理である「牡丹鍋」は、猪肉を薄切りにし、「牡丹」の花に似せて皿の上に盛りつけ、 鍋の中で 野菜と猪肉を一緒に煮て食べるのが一般的であり、味付けは地方により異なるようである。
 捕獲された肉の保存方法であるが、最近は冷凍冷蔵庫があるので問題ない。しかし、春野の秘境である京丸などに住んでいた人は獣肉をどのように保存していたのであろうか。このことについて京丸に住んでいた方に聞いたことがあるが、その人の話では、獣肉は貴重な蛋白源であり、味噌漬けにして保存したとのことであった。
鹿や猪の捕獲方法は、銃や捕獲檻や罠によるものであるが、いずれも免許が必要である。一般の人の狩猟は、11月15日から翌年の2月末日までであるが、役所から獣害駆除の許可が出れば猟友会の人は、年中猟をすることが出来る。最近、年輩の猟師の人に聞いた話であるが、「昔は、鹿を獲るために山奥まで出かけたが、最近はその必要がなく、部落の近くでいくらでも捕獲することが出来る」ということであった。これは、昔は、山に動物の食料となる木の実が豊富にあったが、戦後の拡大造林で雑木が杉や桧に代わってしまったためとされている。

以上で「田舎と都会の違い」の連載を終了いたします。


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この記事へのコメント
「タイちゃん」さん こんにちわ。
猪は、木枯らし、池や田に張った厚い氷、霜柱、ツララなどと共に、寒さ厳しかった気田の冬の風物詩として、今でも思い出に刻み込まれています。

昨今では大繁殖して農作物への有害鳥獣筆頭格の猪ですが、昔の気田では、猟師が仕留めた猪にお目にかかる機会は、そんなに多くはなかったと思います。
クラスメートのK子さん宅へ、親父さんが撃ってきた猪を見にゆき、血のついた牙や剛毛を触ってみたことがあります。

鍋や味噌漬けの肉をよく食べました。
鍋に必要な砂糖は、当時もう殆ど手に入らない貴重品になっていましたから、味噌漬けが多かったかも知れません。
小さい頃から食べていたので、猪肉に対する抵抗は全くありませんが、家内はマトンや猪が全く駄目です。
奥三河の猪鍋料理に何回も誘ってみるのですが、頑として受け付けません。

父親が気田でもらった鹿の頭骨が玄関の壁に飾ってあります。
二本の角の先から顎骨の先端まで、約73cmあります。
気田から7回引越しをしましたが、傷んでいません。包装もできないので、引越し荷物の一番上に載せてあったような気がします。
Posted by 尾張仁 at 2010年02月09日 16:02
「尾張仁」さんこんにちわ。
子供の頃、気田で暮らした懐かしいお話をありがとうございます。
今でも春野は、神戸に比べて寒く、1月、2月は、氷点下で氷が張る朝が多いです。
私は夏の暑さには強いですが、寒さには全く弱く、薪ストーブをじゃんじゃん焚いています。
昔は、薪は皆で奪い合うようにして集めたそうですが、今は薪を使うのはこの部落では私一人で、競争者もなく独占で薪を使わせていただいております。
Posted by タイちゃん at 2010年02月10日 06:30
山の食肉文化のお話、面白かったです。
鍛冶町にあった「伊那谷」というお店を
思い出しました。ときどきこのお店で熊肉、
イノシシ肉を味わったことがありますが、その味は全然記憶していませんね。特徴を
持ったオモシロイお店でしたが、いつの間にか街中から消えてしまいました。
薪ストーブをジャンジャン焚いてるなんて、
うらやましい限りです。背中まで柔らかに
包みこまれる暖かさは、何とも言えない
安らいだ気分になりますよね。炎を見つめ
る楽しさもまた格別です。薪ストーブの
前で、ただボーっとしてるだけなのに、平穏な気分になってくるのが不思議です。
読書灯をつけての読書も悪くないですね。
ぼくも寒さに弱く、夏男を自負してます。
松本旅館で、三泊四日がかりで何年も
続けた以後合宿でも、絶好調でした。
Posted by ゲキト at 2010年02月15日 19:58
「タイちゃん」には 初めてコメントさしあげます。 春野暦5年の元春野っ子です。
住宅にいた頃、地元の方から 鹿肉を頂いた記憶があります。 
食べられなかった覚えがないので、子どもの口でも大丈夫だったのでしょうか。

猪肉は 伊豆の天城という印象で、北遠では 気田でも獲れたんですね。
また、里の川向こうになる 浜松の街でも "ワイルドな肉"を 味わえたんですね。
Posted by ゆやの里人 at 2010年03月25日 02:53
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